INICIAR SESIÓN「何をにやにやしているの?」
「うわっ」いつもどおりの電車の中、滝沢の幸せを願っていると、僕は唐突に彼女に声をかけられた。
そういえばひとつ前が彼女の乗ってくる駅だったのに完全に失念していた。こんなことは初めてだけど、それにしても昨日の今日で、よくこの車両に乗ってくるものだ。他人のことはまったく言えないけど。 もっとも、周囲の客は取り立てて僕らに注目することはなく、普段どおりに過ごしているようだ。あの程度のことでは興味なんて長続きしないのだろう。 僕はあらためて彼女に顔を向けたが、そこにはもう怒りの感情は浮かんでいない。昨日のアレはなんだったのだろうか? 虫の居所が悪かっただけとか? 考えてもわからないので、それは横に置いておいて僕は彼女に答えた。「友達のことを考えていただけだよ」
「友達?」「今日、好きな娘に告白するんだ」「そう……」彼女は少し間を開けてから囁くように言った。
「上手
「何をにやにやしているの?」「うわっ」 いつもどおりの電車の中、滝沢の幸せを願っていると、僕は唐突に彼女に声をかけられた。 そういえばひとつ前が彼女の乗ってくる駅だったのに完全に失念していた。こんなことは初めてだけど、それにしても昨日の今日で、よくこの車両に乗ってくるものだ。他人のことはまったく言えないけど。 もっとも、周囲の客は取り立てて僕らに注目することはなく、普段どおりに過ごしているようだ。あの程度のことでは興味なんて長続きしないのだろう。 僕はあらためて彼女に顔を向けたが、そこにはもう怒りの感情は浮かんでいない。昨日のアレはなんだったのだろうか? 虫の居所が悪かっただけとか? 考えてもわからないので、それは横に置いておいて僕は彼女に答えた。「友達のことを考えていただけだよ」「友達?」「今日、好きな娘に告白するんだ」「そう……」 彼女は少し間を開けてから囁くように言った。「上手くいくといいわね」 正直僕は少し驚いた。昨日のこともあったから、もう少しキツイタイプかと思っていたのだけど、今の言葉には本物の思いやりを感じたからだ。「う、うん。僕も応援してるんだ」 僕が言うと彼女は微笑んだ。彼女のこんな表情は初めて見る。それはとても魅力的で、どきっとするほど美しかった。「あなたには恋人は居ないの?」「ぼ、僕は……モテないからね」 正直に言って目を逸らす。考えてみれば、生まれてこの方ラブレターもバレンタインのチョコすら貰ったことがない気がする。「おかしいわね」「え……?」 彼女の言葉に顔を上げる。「身長はそれなりで顔の作りも悪くないのに」「そ、そうかな?」 褒め方としても微妙だけど悪い気はしない。「わたしもね、恋人は居ないの」 不意の言葉に僕は彼女の顔を注視した。だけど彼女のほうは僕と視線を合わせようとは
「三日森、ちょっと相談したいことがあるんだ。ここだとなんだし、屋上まで来てくれないか?」 放課後、そう言って僕の予定を狂わせたのは滝沢だった。 いつになく真剣な顔した友人を無碍にもできず、僕は月子と話すことをあきらめて、滝沢の後について屋上まで足を運んだ。 明るく幅の広いモダン建築の階段を上ると両開きのガラス扉が見えてくる。そこを開けばプランターに色とりどりの花が植えられた生徒たちの憩いの場が広がっているのだが……「暑い……」「そ、そうだな」 僕の隣で顔をしかめる滝沢。今は半日授業なので日差しも強く、とても外に出る気がしない。 とりあえず予定を変更してガラス扉を閉めると、回れ右をして空調の効いた踊り場で話を聞くことにした。ちょうど長イスまで置いてあって雑談するにはちょうどいい。「それで滝沢、相談ってなんなんだ?」「う、うん、それなんだが……」 滝沢はこちらに顔を向けることもなく、なにやら言いにくそうにしている。急かす必要もないので、僕は気長に待つことにした。 我が校の全館冷暖房完備の謳い文句はダテではなく、こんな屋上の出入り口ですら快適だ。両開きとなったガラス扉の向こうには目映い光に照らし出された屋上が別世界のように広がっているが、こうして眺めている分にはむしろ心地良い。遠くから響くセミの声も、ここでは子守唄のようなものだ。 壁に視線を移せば大きなボードに様々なポスターやプリントが貼り出されている。中には壁新聞もあって、都市伝説も同然の屋根の上に現れるマッチョ男がどうのこうのというくだらない記事もあった。 それにも見飽きて、だんだん退屈し始めた頃、ようやく滝沢は口を開いた。「三日森、お前って月子さんと仲がいいよな」「……て、またその話かい?」「いや、そういう意味じゃなくてさ」「じゃあ、どういう意味?」「俺よりは仲がいいってことさ」「まあ……自惚れじゃないなら、友だち程度には思
今日も晴天に恵まれて電車のエアコンは朝から大忙しだった。 空調の効いた客車の中で、いつもどおりの揺れを感じながら、僕は彼女が現れるのを待つ。 また以前の男が一緒だったらと不安な気持ちもあったけれど、いつもの駅から乗り込んできたとき彼女はひとりだった。 内心でホッと胸を撫で下ろしながら、彼女の動向をさりげなく視界に入れる。 今日は乗客が少ないらしく、ちょうど僕の斜め前に空席ができていた。おそらく彼女はそこに座るだろう。いいポジションだ――なんて考えていると、まるで覗きかストーカーのような気もしてくるが、そこはあえて気にしないことにする。 しかし、彼女はその前を通って――なぜか、そこに座ることなく――こちらに向かって歩いてきた。(なんだろう?) とまどう僕をよそに、彼女は僕の真っ正面に立つと、そこで吊革を手にして口を開いた。「かわいい彼女が居るのね」「…………」 はじめて耳にする彼女の声。それはイメージどおりに美しかったけど、いったい誰に向かって話しかけているんだろう?「仲がいいのは結構なことだけど、公共の場であんなふうに抱き合うのはどうかと思うわ」「……え?」 僕はとまどいながら左右を確認した。左に座っているサラリーマンは居眠りをしている。右側の大学生はヘッドフォンをかけて、なにやら音楽を聴いているようだった。 つまり、彼女が話しかけているのは、どう考えても……。「でも意外ね。ホラー映画、好きだったんだ」「ち、違っ」 僕は思わず立ち上がろうとしたが、そのせいで彼女にぶつかり、その胸に顔を埋める。「ご、ごめんっ」 今度は慌てて席に着いたけど、当然ながら彼女は不機嫌そうに顔を赤らめていた。そのまま冷たい声音で僕に詰問するように言ってくる。「違うってなにが?」「僕と月子は、ただの友達で……」「月子っていうんだ。あなたってば、た
あまりの怖さに失神者続出! 心臓の弱い人は見ないで下さい! 軽く死ねます! そんな宣伝文句は、ホラーが苦手な僕でさえ、誇大広告だとバカにしていたけど、実際に見たあとでは、とてもそんなふうに考えることはできなかった。 上映が終わって席を立ったときも、顔から血の気が引いていたのが自覚できたし足下も覚束なかった。 情けない話だけど映画館を出るときも月子に支えられるようにして歩いていたくらいだ。 今こうして、ここで公園のベンチに腰掛けたあとも、しばらくはぼーっとしつづけていた。「映画に殺されるかと思った……」 ようやく我に返って呟く僕に、月子は近くの自販機で買ったらしい缶コーヒーを差し出してくる。「ごめんね。やっぱり、ホラーはダメな人だったんだね。無理をさせちゃったね」 「そういう君はムチャクチャ平気そうだね」 「三日森くんのおかげよ」 「僕の……?」 ずっとビビりまくって震えていた僕が何かの役に立てたとも思えないのだが。「だって、あんなふうに男の子に抱きつかれてたら、怖がる余裕なんてとてもとても。違う意味で身の危険は感じたけどね」 「あう……」 僕は肩を落としてガックリとうなだれた。そういえばそうだった。僕は途中から恥も外聞もなく、ずっと月子に抱きついていたんだ。「もうダメだ……。怖さのあまり女子に抱きついてしまうなんて……。もしこのことが学校で噂になったりしたら不登校になる自信がある……」 「そんなことになったら、さすがに責任を感じるわね」 「頼むから、このことは秘密にしてくれ」 「わたしはもちろん誰にも言わないけど、アレって結構話題になってる映画で、しかも今日は日曜日だからね。お客の中にクラスメイトが紛れていなかったって保証はどこにもないわ」 月子の言葉に僕は顔を引きつらせた。「でも、たぶん大丈夫でしょ。館内は薄暗かったし、傍から見ればどっちがどっちに抱きついてたかなんて判らないわ。誰かに聞かれたら、わたしが怖がって抱きついてきたって言えばいいのよ」 「月子……」 当たり前
翌日の日曜日に、わざわざ茜川まで足を延ばしたのは、地元量販店の品揃えの悪さがいちばんの理由だったけど、心のどこかでは、やはり月子のことが気になっていた。 もちろん、いくら地元に住んでるとはいえ、そうそう街中でバッタリなんてことはないだろうが、こういうとき人はあまり論理的ではない行動を取るらしい。 あれから僕は花屋敷さんの言ったことを、ずっと考えていた。 話の流れからして、たぶんあの人は、ことさら僕という存在に拘ってはいない。むしろ月子のことが好きな男子なら誰でも良さそうな感じだった。 それはつまり、あまり考えたくはないけど月子は今、道ならぬ恋をしてしまっているのではないだろうか。 たとえばそれは……。「ふ、不倫……とか?」 声に出してつぶやいたあと、バカな思いを振り払うように僕は大きくかぶりを振った。「違う、あり得ない。彼女はそんなことをする娘じゃない!」 「いやいや、女ってのはわかんないわよ~」 「そんなこと――!」 いきなりの声に反射的に振り向くと、驚いたことに当の月子がそこに立っていた。見慣れた制服姿ではない。今は私服で白いブラウスにショートパンツを身につけ、肩にバッグをかけて白い帽子を被っている。 いかにも清楚な女子高生といったイメージだが、その脚のラインが美しくて、ついつい目が行きそうになる。これならば女に飢えた中年男性など一撃でKOできそうだ。 つい先日、僕の頭をのせてくれていたその脚を、見知らぬ男の手が撫で回す姿を想像して僕は青ざめた。「つ、月子……」 「奇遇ね、三日森くん。相変わらず、挙動が不審だけど、どうかしたの?」 「君は……君って娘は……」 きょとんとした顔でこっちを見てくる月子に、込み上げてくるやるせなさを抑えながら僕はキッパリと告げた。「不倫なんて、すぐにやめるんだ!」 「――――っ!?」 月子は面食らったように身をのけぞらせると、見る見るうちに真っ赤になった。「なっ、なっ――」 何か言おうとしているようだが、動転のあま
熱中症のあと、学校を2日休んだ。 頭痛はすぐに治まったが、ダメージがお腹のほうに来たのだ。おかげでこの2日ばかり、トイレを友として過ごすことになってしまった。 それでも3日目には復活して、僕は意気揚々と学校に向かった。ようやく朝の彼女に会うことができる。期待に胸を膨らませるとはこういうことなのだろう。今日はいいことがありそうな気がした。「死にそうな顔してるわよ」 月子は僕に会うなり言った。「そ、そうかな? 僕は元気だし、今日は天気だし、今日も僕らのクラスは殺気で満ちあふれているよ」 「活気でしょ、活気。殺気で満ちてるクラスってどんなのよ? 怖すぎるわ」 夏休みが近いせいか、ホームルーム前の教室はいつも以上に賑やかだ。僕のふたりの友人も、離れたところで、やたらと大騒ぎしている。 その光景を遮るように月子が僕の目の前に立つ。「彼女に何かあったの?」 「…………」 僕は目を逸らした。真顔で月子が追い打ちをかけてくる。「寝取られた?」 「だから、そんなことを、しかも教室で言うなよ~~~っ!」 思わず叫んだら、クラスのみんなが一斉にこっちを向いた。 ま、まずい。とりあえず僕は、なんでもないんだとアピールするために、笑顔でみんなに手を振ったが、こともあろうか月子がツッコミを入れてくる。「よけいに怪しいなぁ」 「誰のせいだ!」 僕が言うと、月子はフッと笑って窓枠に腕をのせつつ空を見上げた。「きっと誰も悪くなかったのよ。彼女もまた歪んだ社会の犠牲者だったんだわ」 「いやいや、そんな三文サスペンスみたいなノリで誤魔化されないぞ。だいたい自分のことを他人ごとみたいに語るのはどうかと思う」 ジト目で言うと月子はこちらに向き直って誤魔化すように笑う。「ごめんごめん。けど本当にそっちの話なの?」 「今は言いたくない」 さすがに人目があり過ぎるうえに、いろんなところから注目されている。「わかった、それじゃあ、また後でね」